旧静内町立御園中学校跡地の今は

旧静内町立御園中学校

碧蘂橋

Aコープしずない店から碧蘂橋を見ると、今は直線道路。昭和30年頃は左方向に下った所に橋があった。
この碧蘂橋は何と呼ぶのだろう。碧蘂橋でググるとRubeshibe Bashiや「へきしべ」が出る。碧は普通に読むと「へき」だからから「へきしべばし」が正解か。
それは兎も角、昔の思い出は左に駄菓子屋があって、1本5円の黒棒を10円を持って買いによく行った事と右側のお店からは春日八郎の「お富さん」が、毎日のようにラジオから流れていたこと。またググると「お富さん」は昭和29年(1954年)の大ヒット曲と言うから年代的に符号が合う。
そんな事を思いつつ、シャッターを切ったが、のどが渇いたし腹も減った。周囲を見渡しても食堂らしきものはない。あるのはAコープだけ。思案の余地なし。中に入って弁当コーナーに行って見たが、もう売り切れ状態。仕方が無いので普通の菓子パンにした。飲み物はノンアルコールビール2缶。この近くには四阿のような所は無いと店員が言うので、これまた仕方なく店の前にあったテーブルに置いて食べた。

昔、住んでいた所はどこ?

昔、住んでいたのはこの辺?一応の腹ごしらえは出来たので、次はその昔住んでいた場所を探すことにした。桜丘小学校の正門真向かいにこんな建物があった。見るからに今は誰も住んでいないようだ。ごみ収集箱も静内町のままである。この場所はイメージしていたものと近い。
当時、向かいの家に良く遊びにいった。玄関で「あがるよう」と言えば事済んだ。庭の檻の中で飼っていた七面鳥が羽を広げると、とても綺麗だった。
ここからの花見は近かった。桜丘小学校バス停から、この辺を見たとき、桜の木らしきものが、何本か見えたが、その辺りだったのかも知れない。

御園中学校の跡地は

この桜丘小学校は御園中学校の跡地に建てられた。私の父がここの校長をしていた時、花壇を整備した。そのときの花で唯一覚えているのがダリア。そんな名残が無いかと思い、見渡したが分からず。尤もダリアは秋の花であるが・・・。
それと、これは兄から聞いた話であるが、旧社会党の池端清一さんは御園中学校で教員をやっていた時期があったらしい。
桜丘小学校

坂をのぼる

静内農業高校バス停ここからは上り坂である。Aコープ静内店の人は「自転車だと、きついけれど歩きだとそれほどでも無いよ」と話していた。ん~、確かにそれは言えるが、長い。まぁ、目標がはっきりしたから、ゆっくり行くことにしよう。
十字路この道も牧場が多い。千代田牧場を過ぎるとようやく「静内農業高校」のバス停が見えてきた。次の信号までもう少しだ。あそこで右に行けば、今日の最終地点「しずない桜まつり会場」に行ける。しかし、そこからがまた長いとは。

国土地理院のデータ

ここでも1978年のデータを見てみよう。御園中学校の向きが今の桜丘小学校とは90度違う。その左手にあるのは教員住宅のようだ。やはり、この辺りに住んでいたんだろう。
※写真は「地図・空中写真閲覧サービス」を利用。オリジナルをトリミング加工しています。
※画像クリックで大きな画像
国土地理院のデータ

1978年の碧蘂橋周辺

昔の写真を見ていると、1978年にこんなのがあった。これは碧蘂橋と現Aコープ静内店辺りではないか。当時の記録によると、1975年・1978年・1979年に北海道ドライブ旅行をしている。1978年は同僚の友人の車サバンナで道央・道東・道南を回った。田原の後はシャクシャイン像を見て、襟裳岬に行っている。
1979年の碧蘂橋 現在のAコープ静内店辺り

全日本学校環境緑化コンクール

静内町発行の「静内町史」に、「御園中学校は町内及び全道にも広く知られる緑の学校として、1968年11月9日全日本学校環境緑化コンクール中学校の部で見事特選の栄をかち得た。」と言う記述がある。
(この昭和43年には宮城県村田町村田第二中学校と岡山県倉敷市味野中学校も同時に受賞
そして、そのページの歴代校長の二代目に父の名前があった。父が始めたとされる校庭の花壇作りがそのあとも脈々と受け継がれて行ったのだ。

備忘録

・御園中学校開校:1947年5月1日(昭和22年)、御園小学校内に二学級編成で開校
・新校舎落成:1950年12月12日(昭和25年)
・創立五周年記念式典:1952年(昭和27年)、校歌、校旗、校章が制定
・校長就任年月日:1952年4月1日(昭和27年)
・校長退任年月日:1955年3月31日(昭和30年)
・浦河町西舎からトラックに乗って引っ越して来た日、三歳になったばかりの妹は「うちに帰る、うちに帰る」と泣いて回りを困らせた。また、父と母が登別温泉へ旅立つ日、今度は兄妹二人して「行くな!」と言って泣きわめいた。お土産は二人とも貯金箱だった。この時の子守役は祖母。
・十勝沖地震:1952年3月4日午前10時23分(昭和27年)。これは西舎で経験した。グラッと来た時、父親が学校の窓を開けていた。そのとき、母親は浦川に行っていたが無事だった。街は地割れが起きて、凄かったらしい。このあと、田原に引っ越したのだ。

北の零年

「北の零年」で志乃(吉永小百合)が開拓使静内分署/静内派出所を訪れた場面(BS朝日のテレビ画面を撮影)

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